他人の不幸を喜ぶ人、Nさん母娘の場合

Nさん、これも仮名です。彼女は幼稚園、小学校の同級生です。そして彼女の母親は現在70才前後だと思うのですが、未だに出会うとニタ―ッと薄笑いを浮かべるので、仮名をNさんとしています。

Nさんとは仲良しの友達ではなかったのですが、幼稚園の頃から毎日のように前触れなく我が家へ来ました。彼女の家とうちは、けっこう離れていたので自転車で来ていました。

うちへ自転車をこいでまできてくれるから私のことが好きだったのかというとそうではありませんでした。自分の居場所が家になかったので長時間受け入れてくれる家を探していて、どうやら、それが私の家だったようなのです。親御さんが共働きで不在だったのかも全くわかりません。

遊びに来ては、遊び方に不満があると「これだから、一人っ子は!」となじってきました。不満というのは、人形遊びでも私が自分の可愛いと思っている人形を使うのがけしからんというものでした。

彼女は自分のおもちゃや人形を持ってくることはなく、うちを我が家の如く使用していました。そんな状態ですが彼女の母親から、たまにはうちにも来てくださいといった誘いはないどころか、ぞんざいな扱いを受けました。

幼稚園の時、クラスメート数人で集まって公園に集合することが機会がありました。その時、なぜかNさんの母親が私を迎えに来て、自転車のチャイルドシートに乗せてくれました。

しかし、そこからが問題でした。交通量の少ない信号を渡る時、赤信号を無視しました。幼稚園児だった私は母親に「おばちゃん、信号、赤やで!」と言うと「ここの信号、壊れているねん」と返してきました。

よその子を預かっているとい意識は無かったのでしょう。

彼女とは残念ながら苦い思い出しかありません。幼稚園の時、同じクラスでロッカーの使用でもやりこめられました。

2段式のロッカーで上の段が彼女、下の段が彼女だったと思うのですが、帰り支度などで私が先にロッカーを使うと怒りだす状態で、毎回、彼女が使い終わるのを待ってからロッカーを使わなければならない状態でした。

歌の時間の時でも、油断がならないことがありました。

その日、私は絵柄の入ったティッシュペーパーを幼稚園の制服のズボンのポケットに入れてました。私の隣にいた彼女も、そのことを知っていたようで、歌の時間が終わってポケットを見ると、ごっそりティッシュペーパーが無いのです。

困っていると彼女が私が持って来た絵柄と同じティッシュペーパーを自分のズボンのポケットからとりだすと、私に1枚渡しました。そして「このティッシュペーパー、かわいいやろ。○○屋(雑貨店)で買ってん。1枚あげるわ」と言いました。

そんな偶然があるのでしょうか。

小学校にあがっても、突然やってくる習慣は変わりませんでした。そして、授業中に彼女の作文内容を知る機会があり、その内容に驚きました。私の家に来ては自分の家の如く振舞っているのに、1番の仲良しは○○さんです。と書いてあるのでした。

そして、私が中学校の受験が不合格だった時も、教室で「落ちたんやろ!」と皆にきこえるようにで言いだすなど容赦がありませんでした。

ただ、こういった仕打ちは序の口で、母親が更に輪をかけるような仕打ちをするのでした。それは私の父が亡くなった直後、落ち込んでいた母が商店街で、彼女の母親に会ったそうです。

情報収集に余念がない母親でしたから、父が亡くなっているのをどうも知っている上で母に「痩せたな~」と笑いながら言ったそうです。

他人の不幸を喜ぶところがユキテラ夫人と似ている感じがします。その後は全くNさん母娘と会うことはありませんでしたが、コロナ以降会ってしまいました。

私が用事で玄関前にいると自転車に乗った年配の女性がうちの前を通り過ぎる時、私を見るなりニターッと薄笑いを浮かべて行きました。一目でNさんの母親だとわかりました。

正直、不愉快でした。Nさんの母親も自転車をこいでのことだったので追いつかれないから、そういう行為をしたのではないかと思います。

母娘して我が家をマウント対象にしていたんだと思います。

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